リトアニア北部シャウレイから少し、十字架の丘。
墓地ではなく、カトリックの信仰の対象の地。
18世紀末リトアニアはロシア帝国の領土となり、19世紀にリトアニア人がロシアに対して蜂起するが失敗に終わり、反乱兵の家族が彼らの遺体の代わりに十字架の丘を建てたといわれている。
20世紀にリトアニアは独立を回復し、この丘はリトアニア人が平和や独立戦争での死者たちのために祈る場所となった。
ソビエト統治下では、リトアニア人の宗教として疎んじられ何度もソビエトにブルドーザーで壊されたものの一晩でまた十字架が沢山建てられたそうです。
ヨハネ・パウロ2世もこの場所を訪れています。
ツアー参加者の中では薄気味悪いという声もあったものの、祈りが沢山唱えられている場所はとても澄んでいます。どの宗教の寺院に行っても、まずはそこに漂う空気に身を任せます。




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