承認欲求
アッサラームアライクム。
スーフィーティーチャーのサラームです。
1か月以上前ですが、友人と映画「死刑にいたる病」を観てきました。
連続殺人鬼である死刑囚は、以前地元でパン屋を営み、そこに集まる学生を自宅に連れて行き殺していた。
そして、1件だけ自分の犯行ではないから調べてほしいと手紙を出した先が、主人公の大学生、その彼も中学時代パン屋の常連だった。
殺人鬼であるパン屋の店主は、人誑し(ひとたらし)
学生たち、はたまた看守の信用でさえも得てしまう。
「自分をわかってくれる」
陰から見てくれている
その心にそっと静かに、そして確実に入りこんでくる。
三流大学に入学し父親に認めてもらえない主人公も、中学生時代、傷ついた自分に寄り添ってくれたパン屋の店主に心をゆるし、
その彼に認めてもらいたいと、冤罪を調べ始める。
ストーリーは原作や映画をご覧くださいね。
自分をわかってくれる人が現れた時、自分が認められたと喜ぶ。
自分をわかってくれる人に気に入られようと、子供でも必死に媚びる。兄弟で傷つけあっても。
自分を褒めてくれる人に好感を持つのは当たり前ですよね。
瀬戸内寂聴さんは、会った人をほめちぎっていたそうです。
どこか良い処をみつけて、内面でも外見でも。
そんな上滑りな承認、賞味期限は短い。
自分自身が自分を認めてなければ、もっともっとと外側に求め続ける。
自分がハートの中で認められる、確実な安心感があれば、他人に認められなくても十分安心していられます。
自分が除け者ではなく、この世界が自分のものだと感じます。
聖なるSUFIクラスでは、ハートの深い浄化で、ハートの質を高めます。
この世界が自分のものだと感じることができます。
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あなたに平安が訪れますように。