ブラジル産フェナカイト原石。
今日は2ヶ月ぶりに映画を観に行きました。
「アイルトン・セナ―音速の彼方に」観たいけど観るのがつらいとずっと葛藤し続け、普段は仕事の空き時間に映画に行くのですがそんなことはできないと、一日空けました。
あぁ、記憶が蘇り、涙、涙、涙・・・。91年のブラジルGPでの優勝は身体の痛みに耐えながらのトロフィーを持ってやっとの笑顔を見て涙・・。プロストとの確執も今見てもつらい。何よりただ速く走りたいと向上心を持っているだけなのに(もちろん走り方に問題はあったかもしれませんが)、政治力に巻き込まれて本来の自分の姿を出せない、認めてもらえない。カート時代が純粋に走ることを楽しめたというインタビューも以前から知っていたけどまた映像でみると心が痛い。そして、あのイモラ・・・。涙。
音速の中で神と一緒にいる感覚を持っていたレーサー。
セナにとっては走る前からわかっていたのではないかと思える最期の姿を見て、痛みのピーク。開いた聖書の言葉は暗示しています。
心に焼きついていたものは年月が経っても色褪せないものだと実感しました。
80年代後半~90年代前半のGPの映像はその頃の自分も同時に思いだしました。今となってはサッカーや石の業者さんでよく見るブラジルの国旗もセナで初めて知ったんだなんてことまで思い出したり(笑)。
セナを失ったところの喪失感が癒えないうちにもっと大きな喪失感が加わったことも。久々ハートに巨大な喪失感が感じられ、涙が止まらなくなったので直行で帰りお祈りをして過ごしました。
89年(?)かセナが停止処分を受けていた頃にかけられていた言葉。
「自分の真の能力をわかっていればマイナスのエネルギーに屈することはない」

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