日本では真実が知られていないのが残念で、改めて。

実際、SUFIの研究者は多くても、SUFIがいないのが現状です。外側から見ているだけでは最終的なアルファナーの感覚はわかりません。

オレンジを食べたことのない人にその味を文字で伝えるのが難しいのと同じです。

 

スーフィーとは

スーフィー(アラビア語: صوفي Sufi)とは、おもにイスラームの唯一神アッラーとの我執を滅却し、神との合一(ファナー فناء fana’)を目指し、清貧行を主として様々な修行に励む人々をさします。

神との合一を目指すのは、人間としてよりよく生きるため。

 

スーフィーは特定の宗派や教義の呼称ではありません。

 

修行により自我を滅して「神との合一」になる体験ですが、「神との合一」自体不遜であると国家的または社会的に認められたイスラームからは、異端視されています。

(日本でいうと、臨済宗や薬師寺・興福寺の法相宗(唯識)がかなり近いですが、私はこの神との合一の圧倒的な感覚はSUFIでのみ感じました)

 

「スーフィー」の語源については、一般的に羊毛(スーフ)のぼろ着をまとって修行に励む人であることとされるが、他にも「(信仰の)清浄さ」(サファー safa’ )に由来するというもの、ギリシア語で「智恵、叡智」を意味するソフォスに由来するなども異説もあります。

スーフィーは、イスラームの教えの真理をその本質において認めていますが、国家または社会が容認するイスラム教の権威を必ずしも認めず、自分の直接的な体験によってみずから知ることを求めます。

 

スーフィーとは、精神的な探究を志向した人や実践者を表しています。
さらにそれらと結び付いた思想・哲学・寓話・詩・音楽・舞踏などを指すこともあります。

 

スーフィズムとは

イスラム神秘主義と翻訳されます。
彼ら(スーフィー)の思想や修行などを包括してスーフィズムと呼ばれます。

欧文の伝統的な記法に則って-ismをつけるスーフィズムは、その実践のあり方も含めて思想もすべてをさします。

 

 

スーフィーの起源

一般的にはスーフィーはイスラームの発祥(7世紀)とともに、その影響下で、あるいはイスラームの多数派に対する異議をもって生まれたとされています。

また、スーフィーの起源をイスラーム以前とする説もあり、その発祥または発展の過程での、ユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教、中央アジアでは仏教からの影響を指摘する説もあります。

 

イスラーム哲学の大家でスーフィーであったガザーリーらの影響により、スーフィズムはイスラム世界において定位置を得るようになりました。
スーフィズムはその後イスラームの大きな潮流となり、特にインド・東南アジアのイスラム化において大きな役割を果たします。
13~15世紀にかけて特に発展し、中東全域のほか、北アフリカ、インド、中央アジア、イスラム支配下のスペインなど、イスラーム世界の各地に諸派が生まれました。
実際、トルコの他、モロッコや北アフリカ、イラン、バングラディシュ、その他でスーフィーの人たちがいます。

 

 

スーフィーの定義

直接的な体験を重視する傾向ゆえに、師もしくは長老との直接的な関係を基軸とした共同体としての形態をとることが多い。
それらの共同体のなかで修行に打ち込んだり、あるいは教えを説いて各地を遍歴したりする者たちを、ダルヴィッシュとも呼んでいます。

個我からの滅却・解放、そして<神>もしくは<全体>との合一(この境地を「ファナー」という)を自らの体験として追求します。

私たちがSUFIというと一番に思いつく、白いスカート状の服を穿き、音楽に併せてくるくるくるくると回り続ける「セマー(旋回舞踏)」。 これは観光客向けのショーで行われていますが、本来は、神に近づくという儀礼でメヴレヴィー教団の代表的な行法です。

それぞれの派により、ファナーの状態に辿り着くまでの方法は異なります。
最終段階では、雑念を捨て去り一心に神の事をのみ考え、神と合一したという悟りが訪れます。

 

何故、スーフィーがヒーリングできるのか

アルファナー・神との合一の状態、自分個人がヒーリングを行っているのではありません。

神は全てをご存知で、不可能はありません。
全ては完璧です。

 

聖なるSUFIヒーリングスクール

 

 

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