ヒーラーとして仕事して20年 きっかけ
アッサラームアライクム。
スーフィーティーチャー、ヒーラーのサラームです。
今日は私の話です。
ヒーラーになりたいと思っていたわけではありません。
きっかけは、ずっと「帰りたい」と思っていた場所を探したら、スーフィーの道の繋がった深いハートであったから。
幼稚園児頃からか、自宅で両親がいるのに、「帰りたい、帰らなくちゃ」という意識があった。何処かもわからずに。夕暮れになるとホントどうにかしなくちゃという位。それは小学生になっても、中学高校になっても、帰りたいけどわからず、身体はここにあるのに意識が入っていない。宙ぶらりん。でも、誰誰に会ってみたいとか何かが欲しい、何々したいというような自分の努力が不要な要求、願いは悉く叶う。
帰りたい場所がわからないまま、20代はお琴の先生の紹介で尼僧に出会い30代半ばまでは、月一で滝行やお題目を行ったりしていた。この時はお琴の先生が私の先祖の事件を言い当て供養した方がよいとの事で。尼僧は宜保愛子さんや商社マン時代の大川隆法さんも訪れたことのある方。
霊能力者としての仕事もされ、霊障の話をよくされていたけど、私は興味がなかった。
帰りたい意識が薄まったかと思うと、96年頃環境団体グリーンピースのイベントで、クリアゼーションの澄子さんの声をきき、「帰りたい」が強く。(ヒーリングには興味がなかった。)
2000年サンタフェで石屋さんからモルダバイトを頂戴し、夜には、ホテルで最大級に「帰りたい」大泣き。(その時はモルダバイトの知識はなかった)
その前の年には、ドルフィンスイミングでバハマの洋上を漂っていた時、内なる声が聞こえたというのか、偶然繋がった(ように思う。)
この時もヒーリングは思い浮かばず。
その頃、ヒーラー修行の友人の練習台になり、それはヒーリングというよりリーディングだったのだけど、一寸気になり、彼女の師匠にヒーリングをしてもらうことにした。
師匠のヒーリングで、過去彼を突然死で失った私の嘆きがハートを覆い、その後自分の深く広く包容力のあるハートに意識がはいった。内側にも驚いたし、セッション後はまるで、夢を見ているかのようにらくになった。
その変化に自分自身興味を持ち、その場でヒーラー養成クラスを申し込んだ。
好奇心のような。
それは、エネルギーヒーリングとハイヤーセルフと繋がるヒーリング。
ハイヤーセルフと繋がるのも心地よい。クリア。
だけれども「帰りたい」と感じていた処ではなかった。
修了と同時にヒーラーとして仕事してよいと許可された。
そしてすぐもっと深いヒーリングメソッドがあると紹介され、それがスーフィーヒーリング。
ハイヤーセルフも宇宙も全てを作った存在。
スーフィ―の道を学び、繋がった時にそこが求めていた「帰りたい」場所であることがわかった。
ここから離れたくない。
ずっと、ここにいたい。
ハートで過ごしたい。
深いハートでは静寂と平和に喜びや愛にあふれた時でいられる。
それ自体が無限のヒーリングであるから。
望むことがスーフィーを知る前より、もっと早く実現できる。
この究極の浄化後の世界を望む人に生きてほしい。
皆がスピリチュアルな人になってほしい。
そうすれば平和と愛の世界になる。
ヒーリングセッション、ヒーラー養成講座は、このハートにいるからこそできる事。
ヒーラーとしての活動で20年が経ちました。
皆様に感謝を込めて。
長文をお読み下さり、ありがとうございました。
あなたに平安が訪れますように。
スーフィ―・スピリチュアル・ヒーリングセッション、
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(2022.1.20)