寂しく感じるのは誰?

 

今日は、最近の自分の話です。

1995年から29年経ち、当時36歳で亡くなった人は私の中では36歳のまま。

わぁ、自分の子供位の年齢ですね。

ある俳優さんがよく似ていて、その俳優を見ると辛くなるのでその俳優を見ない時期が続き、それが習慣化されていました。

先週、その禁?を破って、久しぶりにその俳優のでている「帰ってきた危ない刑事」を映画を観てきました。

 

内容は勿論、70歳位になるとこんな顔の皺になるのかぁ、なんて、楽しんでいた私。

そして、記憶の彼も36歳ではなくなりました。(笑)

 

SUFIを学ぶ前は、「どうして死んでしまったのか?」「一緒にいられなくて寂しい」にフォーカスしていました。

これにフォーカスしている時は、頭(思考)が理解したくて、スピ系の言葉の餌食になり、寂しい自分に肯定的になりました。

 

寂しいと感じるのは自分。

すると、自分のその寂しさを外のもので埋めようとします。
もっと、これは違う等等で、終わりはありません。

 

 

「彼はいない」にだけフォーカスされれば、生きていたらこんな感じ?もっと太っているだろうな~なんて、想像して楽しめる。

亡くなって現在のリアルな彼がいないのは残念だけど、寂しいとは違う。

 

生きていても、一人一人別の道を歩んで、その人が何処かで元気でいるような感覚。

出会えてよかった、と感じる感覚。

SUFIの聖なる悟り後には、見える世界、感じる世界が変わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

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