スピリチュアル
アロマセラピーコースの授業で、健康についての概念を「肉体的、精神的、霊的」とした。短い授業時間の中でスピリチュアリティーを説明し、納得してもらうのは難しい。たぶん、スピリチュアルカウンセラーと言われる方が守護霊とかご先祖、前世とかを話しているので、その世界限定のように思われている中、魂(という言葉が怪しげなら生命)の完全性(全体性)をそれも頭のみでは理解を超える。
自分のセッションであれば体験して頂いて簡単なことでも、外部講座だと神という言葉を意識的に避けたりする自分ももどかしい。
唯識もアーユル・ヴェーダ(ヴァガヴァッド・ギーター)も、イスラム密教であるスーフィーも、細かい言葉が違ってもほぼ悟っていく段階と頂上は同じ。バッチ博士がフラワーレメディーを通して語ったことも同じ。
「生命の科学」アーユル・ヴェーダのそのひとつの実践法であるヨーガも、今流行っているのは肉体をどうするかの意識のみ。
もうあと一歩という感じがするのだけれど。
一昨日、昨日と準決勝を見ましたが、面白いけれど面白くない。中田英寿をピッチで見ることができないという心に空いた穴が、試合をとても遠いものにさせます。
昨夜はあの倒れていた英を追体験してみました。未だ歓声の聞こえる中脱力した身体に気持ちはサッカーを始めた頃からの思い出が走馬灯のように流れ、そしてプロ最後となった試合に一度も力を抜くことなく全力で行った充実感があったことでしょう。悔しさよりも充実感に溢れていたと感じました。(そう思いたいです。)
英があの試合で途中からでも諦めて力を抜いていたら、ここまで魂を揺さぶられなかったし、もちろん、それでは中田英寿ではない。その姿にスピリチュアルなものは感じられないと思います。
「MUSA-武士-」の副将や「新撰組!」の最後に本名を名乗る近藤勇にも同じものを感じるのですが、もちろんこちらは作り物の世界。
現実の英はやっぱり私の一番の英雄です。

おすすめ記事

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です