パキスタン産ファーデン水晶原石。
「感動をありがとう」という言葉にはいまひとつピンとこない。
感動するのは自分。感動する心は自分のものだから、彼らのプレーに感動できる心をもっている自分に感謝したい。(美しいものを美しいと捉えられるものさしとして)
彼らは私達に感動させようとプレーしているのではなく、自分のできることを精一杯やっていることが結果私達を感動させる。
全力を出した姿を労うのが礼儀と感謝であって、自分が主体になる「感動をありがとう」は如何なものかしら。
アスリートの真摯な姿で特に使われるように感じる。
あの小泉の「感動した」以来、自分が感動した事に特別の意味があるような捉え方。
労いの言葉で満たしたい。

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2件のコメント

  1.  私もそう思います。
    「感動をありがとう」という言葉を聞くと、なぜか違和感や嫌悪感が出てきていました。なんか違う。。という思い。。
     そうなのです、先生の言葉を聞いて、「そうだよ!!これだ!!」とはっきりわかりました^^ 

  2. 賛同頂けてよかったです^^
    アスリートの前で自分の事を言うなんておこがましいというか・・・。その前に言うべき言葉を大切にしたいと思います。

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