アッサラームアライクム

執着は愛?

昨日、心の時代の再放送を見て、寺院の貫主さまが仰っていました。

 

誰かにこうなってほしい、こうなればよい、という執着は愛だ。

人間は執着を捨てられない と。

 

 

確かに誰かのためを思っては愛から来ているものですよね。

例えば、喉の乾いている人がいれば、その人のために水を与える。

 

でも、「なってほしい」は自分の願望。

例えそれが良いことであっても、それを決めるのは当事者。

 

 

執着は苦しみの種

 

その執着が愛だとすれば、自己愛だと思います。

相手のためを思っての欲望だとしても、そうなって満足するのは自分なのです。

 

執着は、苦しみの種です。

 

 

執着を手放す「聖なるスーフィークラス」をご用意しております。

 

あなたに平安が訪れますように。

 

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