興味ない!と思われる方も多いでしょう。
でも、意識の焦点の当て方で、どんどん間違った方向に行っている良い?例ですので、書いてみました。
私自身は推しもいないし、元々ジャニタレは全く興味ありません。
興味があるのは、この春からの一連の報道。
性加害の話は昔から知っていたので、やっと、膿が出る時が来たかと思ってほっとしていました。五ノ井さんの事と以前書いたことがあります。
が、なかなか膿がでない。
全く本質に辿り着いていない。
ジャニーズ事務所(スマイルアップ?)は、欺瞞だらけ
社名を変更するだけ、NGリスト、総会屋対策のような茶番(+井ノ原発言)や、東が被害者の話を聞く、未だ未だ沢山。
欺瞞…人の目を誤魔化すこと。だますこと。
話題になってしまったので、謝罪しなくては形にならない。
元々謝罪なんてする気はないように思える。
何故なら、それを乗り越えてきた人がタレントになり、
被害位当然だろうと心で思いながら、口では鬼畜の仕業とセリフを言っているから。
恐れが嘘をつかせる
何に恐れているかと言えば
・自分達(タレントとしてデビューしている人たち)も、被害者であることが、明るみになること。
・今までの利益が上げられなくなること。
・今までと同じポジションが保てないこと。
だから、恐れが徹底的に自分たちを守る行動を指示する。
自分達を「ジャニーに性加害をうけた被害者」だと思いたくない。
既に、被害者という現実ではなく、頭の作り上げた被害者ではないという幻想の中に生きている。
その幻想で生きているので、被害者である現実を隠し続けなくてはならない。
被害者を向いていないから、誠意もなく、
保身だけ。
うまく行くわけない。
2回目の会見の目的はなんだったのだろう?
ファンではなく、CMスポンサーが離れる中スポンサー会社に自分たちが生まれ変わったことを伝える場、元々の被害者への補償の進捗状況を伝え、自分たちが真摯に問題に向き合っているということを伝えるのかなと思っていましたが、的外れでした。
保身しかない今の状態
幻想の中に生きている人たちに他人を愛するなんて、全く別世界のことだと思います。
だから、以下のような発想になります。
・被害者の聞きとりを東がする。
-被害者が、加害者側のそれも先輩であろう人間に「こうでした」と言えるでしょうか。
隠蔽までなくても、言わせる気を失わせるには十分でしょう。
・社長になった自分(東)と被害者と、夢を諦めた同士語り合う。
-イコール同等ではない。俳優として夢を諦めたのは、お前ら被害者のせいだと言っているみたい。 被害者たちに自分たちが訴えたから東さんが俳優を諦めたと後ろめたさを与えたいのかな?
・偽被害者がでてきているから在籍確認ができないと難しい
-というのは、救済の意志があるのでしょうか。
・自分たちのチームに元裁判官や元検事を集める。
-被害者の話を受け留める人がいない。聞く気がない。徹底抗戦の様相に思える。
・役員を内部だけで固める。
-ただのタレントでしかない人が会社の役員業務が、経営ができるでしょうか。
ジャニー色を一掃するなら、外部から役員になるべき人を呼ばないと、看板だけ替えただけで、中身は同じ。
自分事に置き換える 愛が解決する
もし、自分だったら。
そう思うといてもたってもいられないですよね。
ウクライナに、天災が起きた処に自分がいたら、と思うと心が痛みます。
だから、普通はもし、自分だったらと置き換えれば、自分を愛するように被害者を愛せる。
だけど、今回は先ほど述べた最大の問題があります。
自分を認めること
ジャニーの数十年の加害を深く認めること。
どれほどの少年たちに傷を与えたか。
どれほど大きな問題であるかを自覚すること。心の目で深く理解すること。
(カトリック神父の1000人以上の少年たちに対する性的虐待を地方紙の記者が追求するノンフィクション映画「スポットライト世紀のスクープ」もあった。)
ねじれは、自分たちも「被害者」と思うことを徹底的に拒否していること。
だから、未だに養成所?を存続させたり、被害者救援が可動していない。
スターになったけど、その代償の傷を自分も持っている。
自分を認めることは、辛いことです。
大変勇気がいります。
押し殺した痛みを認める。
そして、自分達の犯してしまった罪も認める。
そんな自分を認めることが、最良の道に繋がります。
認めた彼らを非難する人はいるでしょうか?
ファンが離れるでしょうか?
彼らも愛される存在です。
本質で生きていかなければ、からまわりするだけ。
将来への不安ではなく、今を真摯に生きる。
時代は転換期に入っています。
自分を認めることは、1回のヒーリングセッションで完了します。
その先は、針の筵に立つのではなく、奇跡のようにあなたの人生が好転していきます。
全てによかったと、ゆっくり眠れる日々が訪れます。
セッションには、あなたが誰かということも、全く必要ではありません。